バスをうまく使いこなせば

新しいのが出たよ

今年が節目の年にあたり、その記念イベントがあることを新聞で知った。
会場であるリッチモンドの体育館を探して訪問した。体育館の壁には強制収容所の風景、その中での日常、中には学校もあり、当時をしのぶ多くの写真が掲示されていた。
ステージでは太鼓、琴の演奏、コーラスグループによる歌が次々に披露されていた。
中でも、懐かしい日本の歌“故郷”日系二世三世の方々であろう人々が歌った合唱を聞いたとき、目頭が熱くなったのを今でも覚えている。
を、日系カナダ人の詳しい情報を得るためBC州バーナビーにあるナショナル日系博物館を訪問した。
さらに、映画“バンクーバーの朝日”に登場したダウンタウン東地区にある、その後、オッペンハイマー·バークへ行き、そこでは、当時歓声を受け野球に熱狂したであろう人々を想像することができた。
オッペンハイマー·パークで毎年7月下旬に行われるパウエル祭は、1977年の日系カナダ人百年祭以降毎年行われすでに40回を迎えたそうだ。
ダウンタウンの南、シティーセンター駅からスカイトレインとバスを乗り継いで約1時間の場所に、スチーブストンという町がある。
和歌山からの日系移民1世たちが初めて住み着いた場所(現在は和歌山市とスチーブストンのあるリッチモンド市は姉妹都市)そこに日本から大型帆船の海王丸がやってくるという記事を見つけた。

その先にどんな

2017年5月5日に“海王丸とともにカナダ建国150周年を祝うフェで、~7日スティバル“がここスチーブストンで開催された。
日本から来た大型帆船にバンクーバーで出会えるのは何ともうれしかった。
会場には、多くのカナダ人、日系人が集まり、ステージは歌あり踊りありで賑わっていた。
残念ながら私はチケットを持たなかったので海王丸に乗船はできなかったが、停泊中の桟橋を歩き、船の傍で写真撮影をしたり、船員と話もできた。
また、海王丸が停泊していた桟橋からほど近くにある、ガリーポイントパークには、かつて遠く和歌山から来た日系人が働いていたという缶詰工場が、博物館として保存され、無料で見学することができる。
缶詰工場内を説明写真を見ながら歩いて行くと、なんだかその当時の熱気が感じられた。
その後、近くの港で名物のフィッシュアンドチップスを購入し食べながら帰路に就いた。
どんちょうアメリカ、シアトルのチャイナタウンにあるウィング·ルーク博物館は、20世紀初頭建設の古いホテルを改装したミュージアムである。1階のシアターには、その昔日本町があったなごりが緞帳として再現されていた。
一日に数回あるシアターのツアーに参加した。英語の説明は早くて理解できなかったが、当時、日本人がここで生活し、またここを起点にアメリカ各地に出掛けた様子をうかがい知ることができた。
シアトルを舞台にした”99年の愛”というドラマが過去に放送された。
99年前にアメリカに移民した日系人がいかに苦労したかをうかがい知ることができる内容である。

 

カナダの人は親切な人が多く

英語がなかなか聴き取れず戸惑いましたア人の比率が多いですが

199年の愛JapaneseAmericans2010※2010年秋、TBSのスペシャル·ドラマとして5日間にわたり日本で放映。
ブラジルサンパウロには日系人街今は東洋人街があるという。
世界最大規模の日系人街。学校LSIのブラジル人のクラスメイトから“リベルダージ”という日系人街東洋人街の存在を聞く。
その後、日系三世の男の子がクラスメイトとして入ってきた。彼の家族はリベルダージに住み、祖父母が日本人とのことで、おのずと親近感がわいたが、接するタイミングが掴めないまま違うクラスに移ってしまった。
フェイスブックの友達もたくさんいるブラジル。機会があればリベルダージに行き、彼らと再会し、さらにジャパニーズ·ブラジリアンの歴史について学んでみたいと思う。

母国語が禁止です60歳でリタイヤしたおじさんが、カナダ建国150年の節目の年にバンクーバーで約3か月間ホームステイしてESLに通い、その間に見て、聞いて、感じた様々な体験を整理したものである。
「あなたは何のために英語の勉強をするのか?」この答えを求めて。当初、学校に行くことに、また自分の子どもと同年代の学生と隣り合わせで学ぶことに抵抗があった。
しかし、その心配をよそに、彼らは受け入れてくれた。若い友達ができた。世界中に友達ができた。日本で新聞やニュースを通して知る世界と、肌で感じる世界の違いを体感した。
彼らは、それぞれ英語を学びながら、目標を持ち又は将来を模索しつつ日々を過ごしている。
お国柄の違いはあるものの、真面目な学生たちがたくさんいる。カナダという国の大きさを知った。大自然と隣り合わせに暮らし、身の回りの草花、小動物に気づかい、人々は真剣に自然との共生に取り組んでいる。
また,Multi-cultural多文化共生、世界中から移民を受け入れ、それぞれの文化やスタイルを尊重し多文化共生を認める。
家族を大事にし、常に第一優先する。そうした考え方に、私自身も見習う点が多い。
飲食業以外にも
飲食業以外にも

カナダの他の州のように

今でも西側にところでバンクーバーの特徴とは、公共交通が発達した便利な街、住みやすい町、海と山と湖など自然に恵まれた町、小雨の多い町、6月でも寒い街、寒暖の差が激しい町、夏季は10時まで明るい町、物価が高い町、人にやさしい町、アジア系の特に中国人、日本人、韓国人が多い町、ホームレスのいる町、マリファナが合法化されている町などが挙げられる。
おおらか、大雑把、粗削りなところもカナダらしさとも言える。すべてまとめてカナダ、そしてバンクーバ2017年はカナダ建国150年の節目の年だった。
それだけにとどまらず、この年は様々な節目の年だった。それぞれの節目をさかのぼることで、その起点となる出来事を知り、改めてその時間の流れを思う。
考える機会、学ぶ機会を与えてくれた。「何のために英語の勉強をしているのか?」ありきたりの答えになるが、その国の人を知る、その国の文化を学び理解する。
英語を話せることで、世界中に友達ができると楽しい。英語を学ぶことで、について、自分の世界が広がることは確かだ。その国の人や文化を理解することが目的で、そのために言語を学ぶ。
英語圏は広く、イギリス、アメリカのほかオーストラリア、ニュージーランド、インド、香港、フィリピン、さらに多くの国々がある。
しかし、例えば日本に一番近い国、韓国や中国の人や文化を理解するにはどうだろう。
韓国語や中国語が重要になると思う。カナダでは、現地で感じることと、テレビのニュースや新聞で知りうる知識とのギャップを多く感じた。
もっと、身近な国のことを知りたいと思う。そのためには少なくとも挨拶ができる程度の語学力を身に付けてゆく。
また、現地の語学学校で学ぶ。すると、きっと人は心を開いてくれるのではないか。今回、日系人について強く興味を持った。

ホットドッグが

世界のジャパニーズについて、ロサンゼルスの全米日系人博物館や、機会があればジャパニーズ·ブラジリアンについて学ぶためにサンパウロにも行きたいと思う。
ひょっとしたら、幾人かの成長したブラジル人元クラスメイトと再会できるかもしれない。
ポルトガル語の勉強も必要だが、会話は英語ですることになる。今回のバンクーバーでの経験が、第二の人生の起点となり、新たな目標が生まれた。
この本をまとめることもその一つだが、次の目標に向け照準を合わせる。
きっと次の計画を実行し、終わるころには新たな目標が生まれるだろう。
このサイクルには終わりがないのかも知れなし謝辞この本を出版するにあたり、ご指導いただいたパブフルの大坂様。
バンクーバーに行くことに対し、留学の一切の手続きをお願いし、現地でも頼りになった留学エージェントの“ちびかなだ”のスタッフへ。
出来の悪い学生に英語反対もせず見守ってくれた妻と二人の娘,を楽しく教えてくれた学校LSIの教師とスタッフへ。
さらにLSIで友達になってくれたすべての学生たち。バンクーバー滞在中、快適に過ごさせてもらったホームステイファミリー。
バンクーバーで知り合ったすべての人々に感謝。灰色のパンクーパー2002年5月20日。と思って下さいね


ア人の比率が多いですが お酒の好きなお父さんがいつもあなたの ご存知の通り